辞任したパウェル前米国務長官がこういう言葉を残したという。
「何事も思っているほどは悪くない。朝になれば状況はよくなっている」
当然、眠っている間に、いつの間にか状況が好転するということではないだろう。朝、気分よく目覚めると、少し世界が違って見える。前夜にはもう駄目だと思えたことにも、立ち向かう力がわく、ということだろう。
修論を書きながら、自分と立ち向かうことの厳しさを痛感する。一文章、一文章にあまりにも鮮明に表れる自分の限界に、ときには吐き気さえ感じる。「どうせ、つまんないものになるだろうな」との敗北感が襲ってくる。そして、絶望感でパソコンの電源を消す。眠る。もうこれ以上はできないと思いつつ。
朝、少し勇気を出してパソコンを開く。不思議なことに、前夜それほど情けなく見えた自分の文章が「そんなには」悪くない。一体何を言っているか分らなかった段落に、「それなりの」筋が通っている。もちろん、眠っている間に文章が自分で変わったり、誰かが直してくれたわけではないだろう。やはり、朝日を見るまでは待ってみるべきものである。
溝口雄三は、日本と中国との間で歴史問題に関する見解の差がなかなか縮まらない理由として、双方に横たわる問題認識の根本的相違を指摘する。
まず日本では、(批判的知識人と保守的知識人のどちらの目からも)この問題は、安保問題、憲法問題、天皇制問題など、国家としてのあり方を決める重要な問題に直結した、いわば日本の将来の方向を決める問題として中核的な位相を占めている。それに対し、中国の知識人にとって、歴史認識とそれに伴う謝罪の問題は、基本的に日本国内の政治問題であって、例えば中国の農村問題や人口過剰の問題のような、中国自身の問題であると同時にグローバルな課題でもある「重大な」案件に比してその位相がはるかに低い。
かくして歴史問題の持つ知的位相が本質的に異なる状況の下では、仮に日本人と中国人の歴史研究者の間で歴史認識問題が共同討議され、会議が成功したとしても、それは実は、双方が文脈の存在には無自覚に、ただ問題だけを共同討議した場合のことになる。
さらに溝口は、こうした知的文脈の相違の源流を、思想文化面における日中間の非対称的関係に求めている。
端的に言って、日本の学界・思想界に絶えず存在してきた、知的な意味での中国関心に見合うような日本関心が、中国には基本的に存在していなかったということである。もちろん、ここでいう日本関心とは、興味の次元における「日本語」や「日本文化」などへの関心とはその意味を異にする。例えば、戦後、日本で竹内好が日本論のための中国関心を言説化した、あのような中国関心に見合うような、中国問題、世界問題を考えるうえでの日本関心、つまり思想資源としての日本関心が、少なくとも現代の中国の知識界には、ごく少数の例外を除いては存在しないのである。
題目から非常に「衝撃的」なこの本は、しかし深く吟味すべきところをたくさん持っている。一読を勧める。